昭和九年の村勢要覧によれば、亀田の気候風土にあった種子を、原産地から直接とり寄せ、優良品種を生産したためという。そのために農会では毎年二名の委員を種子原産地に派遣し、購入にあたらせた。
亀田村は温暖な気候を利用して、馬鈴薯の裏作として大根を栽培し、その生産物は、函館市はもとより、小樽市、札幌市、遠くは網走、東京方面に移出した。
その作付面積と収穫高は次のとおりである。
大根の作付面積と収穫高
大根の輸送(桔梗駅)
亀田の大根として名を売ったわりに作付面積が意外に伸びていないのは、虫害による被害が予想以上に大きかったためであろう。そのため白菜の栽培に切り替える農家が増加した。