昭和二十年の冷害凶作

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 終戦の混乱、食糧不足に追い討ちをかけるように、昭和二十年も過酷な冷害に見舞われた。
 この年は春先から気温が低く融雪も遅れていた。五月上旬、下旬に低温が続いたので稲苗の生育がすこぶる悪く、苗不足のために不作付田が多かった。例年なら約五、〇〇〇反歩の作付面積があるのに、この年は四、〇〇〇反歩であった。前年秋に大麦六町歩、小麦三〇町五反を植付けていたが、冬枯れのため春になって廃耕したものは、大麦一町八反、小麦九町歩、合計一〇町八反もあり、ここに馬鈴薯、かぼちゃを植えた。また夏の天候も思わしくなく不順なため、きゅうり、しろうり、すいか、トマトなどの結実も不良であった。
 一方米は四、〇〇〇反の作付面積からわずかに七八〇石の収穫高であった。反当収穫は平年作であれば一石三斗二合であるが、昭和二十年は一斗九升五合であった。
 以上大きな冷害凶作、風水害をみてきたわけであるが、農業技術の低かった年代には、農業は毎年何らかの災害に見舞われるのが普通であった。