大根の種子は、農会が東京方面および愛知県などの原産地より購入し、各農家に配布して栽培させた。このため、亀田村の大根は名声を博し、函館をはじめ後志、小樽方面に出荷されたのは前述のとおりである。購入した大根の種子量は相当なもので、大正五年一八石九斗六升、同六年一八石、同七年一三石、同九年二〇余石を数えるに至っていた。
同じ大正年間に村農会では道庁より水稲、大麦、燕麦、とうもろこし、大豆、馬鈴薯などの新種の種子の配布を受け、適所に採取圃(ほ)を設け試作し、そこから採取した種子を農家に配布し栽培させた。大正六年の場合、村農会では道庁より次の種子の配布を受けた。
水稲津軽早稲二斗一升、大麦雁ノ首一斗、燕麦レースホース七升、同ベルギー五升三合、とうもろこし白八升八合、同黄金糯六合、大豆甘露六升、馬鈴薯アーリーローズ四一貫七百匁、アメリカ大白四一貫七百匁。
これらの種子を試験栽培し、津軽早稲は二〇戸、大麦は五戸、燕麦は七戸、とうもろこしは八戸、大豆は六戸、馬鈴薯は二〇戸の農家へ配布し栽培させ、好成績をあげた。これら試験栽培に参加した各地区の篤農家から近所の農家へと種子が分譲されていった。