警防団時代

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 (昭和十四年から同二十三年までの十年間)昭和十四年、勅令警防団令の施行により従来の亀田村消防組を改組し、亀田村警防団となった。従来の組頭から警防団長に変わり、九代目成田市太郎が団長となり、前記四部制を四分団に改め、更に分団ごとに総務、消防、救護の三部に編成を改めた。

[警防団組織図]

 昭和十六年十二月八日、太平洋戦争開戦、真珠湾攻撃のころには警防団員も出征したため、火災の消火などに支障を来し、苦難の時代といわれた。
 昭和十八年、大戦もたけなわのころ、警防団員も前線に出動し、残る警防団員も国土防衛、本土決戦に備え、連日銃をにぎって訓練に励み、隣組、愛国婦人会などの消火および竹槍訓練の指導にあたった。また、赤川に建設中であった飛行場の工事にも軍司令部の命令で出動していた。