ア 昭和三十八年から総額一億九千万円で工事がはじめられ、昭和四十年三月までに延べ二万四、一二八メートルの配水管と送水ポンプなどがいっさい終了し、三十八年より各戸給水のための工事がはじまった。水源は字石川に深井戸三本を掘り一日四、〇五〇トンを確保して将来一万八、〇〇〇人に給水するものであった。
イ 一方字桔梗中の沢地区は、昭和二十一年開拓者入植以来の懸案事業である簡易水道設置の要望を、部落民婦人会一致で渡島支庁へ強く訴えてきたもので、ようやく「開墾建設付帯工事」として施設されることとなり、昭和三十九年二月給水施設工事が完了した。給水は中の沢地区三五戸のうち二〇戸分で、水源は湧水を利用してこれを瀘過貯水し給水しており、水質よく水量も豊富で地元民も心から喜んでいる。工事主体は亀田町で、工事費三〇二万円のうち、八割が国庫補助であった。
ウ 昭和四十二年八月からの第二次拡張計画第一期工事の完遂により、四十三年六月現在で延べ四万九、〇四五メートルの配水管、その他の設備工事が完了し、給水世帯五、六七〇戸、給水人口二万三、五三〇人と大幅な普及率をみせており、給水地域も本町、富岡、港、石川、中道、本通、赤川通、鍛治、昭和、赤川一部、神山一部と拡張している。
水道施設の状況(昭和四〇年六月一日現在)
エ 昭和四十六年二月現在においては山岳地帯を除く全域に延べ七万一、〇〇〇メートルの配水管が敷設されており、一万六一二戸、三万九、三七二人に一日最大八、五一二トンを給水している。
水道施設状況(昭和四六年二月一日現在)
オ 人口増加に対処するため、第三次拡張工事が進められ、工事が完成する昭和四十八年度までに給水人口四万人、一日最大給水量を九、〇〇〇トンにしようとするものであった。
昭和四十七年七月現在で給水人口四万五、四二一人に、深井戸三本を湧水でまかない、一日最大一万八五二トンを配水できるようになったのであるが、人口増加がはげしいため、拡張工事を毎年施行してきているものの、いまだ不足分については函館市から一日六、〇〇〇トンの分水を受けている現況である。
カ このように上水道事業は昭和三十八年から着工し、十年間にわたり休むことなく拡張工事が進められてきたのであるが、函館市との合併が実現しようとしている昭和四十八年九月一日現在における市の水道施設状況は、次の表が示すまでに拡張整備された。
水道施設状況(昭和四八年九月一日現在)