開拓農協の統合

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 終戦後、農業協同組合法に基づき、村内に二つの開拓農業協同組合(昭和二十三年中の沢農協、二十四年東山農協)が設立されたが、これは当時の客観事情から地域中心に、また入植年度中心に構成されたことであって、決して農協法本来の趣旨に添ったものでない実情におかれていた。それで組織の合理化によって、生産力の増強と共同販売体制を確立して信用力の充実をはかり、開拓者の営農振興と生活の安定を促進して、健全な開拓精神に基づく新農村社会の建設を目標に、これが懸案解決のため昭和三十三年春から、村、渡島支庁、両組合役員の三者で、二つの開拓農協の統合について趣旨の普及を推進してきた。その結果、両農協は意志統一をみ、十月十五日に中の沢開拓農協(組合長堤久雄 組合員三一名)が、また、十月十六日に東山開拓農協(組合長成田市太郎 組合員六七名)が、それぞれ臨時総会を持ち全組合員賛成のもとに、両開拓農協統合を満場一致議決したのである。なお統合による名称も「亀田村開拓農業協同組合」と称することとし、十一月中旬には臨時総会を開催し、新役員を選出することも決めた。
 かくして十一月十五日、村役場において第一回設立総会がもたれ、新しい役員には、
 組合長 目谷勝三郎  副組合長 松尾正義 理事七名、監事二名が選出され、新しい開拓農業協同組合が発足した。統合後の開拓農協はいよいよ内容を充実して、翌三十四年七月には定期総会を開催した。
 
 期 日  昭和三十四年七月四日
 場 所  村役場会議室
 協 議  ・前年度決算報告、事業報告
      ・本年度事業計画、本年度予算
        いずれも原案どおり承認した。
 役 員  組合長 目谷勝三郎  副組合長専務理事 松尾 正義
      理事 菊谷 兼雄  古藤  弘  加賀 富三  目黒 統橘
         新田長太郎  中山 国一  八木 豊雄
      代表監事 木村銀三郎
      監事 厚谷孝次郎  池田 由蔵
 
 こののち開拓農協は運営の内容を充実し、前進を続け、昭和三十九年亀田農業協同組合への全面合併の機を迎えることになった。