農業センサス

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 亀田町の農業は、開基当初から基幹産業として発展してきたのであるが、近年他産業の進出と宅地化による農地の転用増加が目立ち、市街地周辺の農耕地は年々減少してきた。
 昭和四十年二月一日現在で調査した農業センサスの結果がまとまったが、この農業センサスは五年に一度農林省が全国いっせいに実施する農業の国勢調査ともいえるもので、農家数、農家人口、土地、農業機械、農業雇用労働、畜産、農産物販売など農業に関しての調査をするものである。
 亀田町でも同年二月一日現在で三八人の調査員により実施し、その四〇ページにおよぶ調査結果表を完成し、道に提出したが、以下その結果表から亀田町の農業の概要をみることとする。この調査では一反歩以上耕作しているものを農家とみなして調査対象に挙げた。

年次別農家数


広狭別農家数

〔農家数〕昭和四十年二月一日現在の亀田町の農家数(一反以上)は九一八戸で、三十八年の調査(北海道農業基本調査)と比較すると四四戸が減っており、五年前の三十五年の農業調査では一、〇〇八戸だったので、毎年二〇戸前後の離農があったことになる。
 
〔農家人口〕この九一八戸の総世帯人員は男女合せ五、四二八人で、このうち農業従事者人口は二、二一五人となっており、この農業従事者も年々減少している。三十五年には二、七六三人が従事しており、五四八人の減少となった。
 
〔専業・兼業〕九一八戸のうち農業専門農家が三九三戸、農業が主なる兼業農家(第一種兼業)が二七四戸、第二種兼業農家が二五一戸となった。この比率も年々変化してきており、三十五年に専業農家が五四三戸、第一種兼業が二八五戸、第二種兼業が一八〇戸であったものが、このように年々専業農家が減少して一種兼業、二種兼業がふえており、全国的な傾向だが、農業従事者の他産業への就職によるものである。
 
〔耕 地〕田は四七八町四反、畑が一、五七五町八反で、一戸平均二町二反三畝は全道平均三町七反を大きく下まわっている。これは家庭菜園程度の五反未満の農家が多い(九八戸)ためである。
 耕地の広狭別農家数では、別表でみるとおり、二町から三町が一番多く二三八戸(二五・九パーセント)、三町から五町が二一七戸(二三・七パーセント)、五反から一町が一一九戸(一三・〇パーセント)、一・五町から二町が一一三戸(一二・三パーセント)と続いており、二町から三町が四分の一を占めている。
 次に畑作の作付面積をみると、一番多いのは馬鈴薯の五一〇町(七九七戸)と畑作総面積の三分の一を占め、大根の二一四町(七三九戸)、ビートが一二五町(四三六戸)、以下小豆、白菜と続いている。
 耕地面積は年々減少の傾向を示しているが、これは都市に接しているため交通の便利なこと、地価が低廉なことから宅地や工場敷地として農地が転用されているためで、三十五年から一〇〇町近く減少しており、町の形態が徐々に農業を主体としたものから、農業と工業を主体とした形態に移りつつあることがわかる。
 次いで毎年二月一日現在で調査している北海道農業基本調査結果によって亀田町の農業の概要をみると、次のようになっている。

専兼農家別数


利用地目別面積

 この調査によると、三十六年ころから都市化の傾向にあった当町は、農家戸数、農耕地とも大幅に減ってきており、昭和四十二年度もますます都市化の傾向にあることがわかる。
 
〔農家戸数〕町内の農家戸数は八五四戸で、内訳は専業農家四五五戸(全体の五三・三%)兼業農家一八三戸(二一・四%)、自給生産農家二一六戸(二五・三%)となっており、前年に比べ農家総数で四六戸減少しており、特に専業農家が四七戸も減っているのが目立ち、このほか自給生産農家七戸減が兼業農家六戸増に移動しているだけである。
 
〔農耕地〕農耕地総面積(採草・放牧地を含む)は二、〇〇六ヘクタールで、この内訳は、田四一〇ヘクタール、畑一、二〇三ヘクタール、樹園地七ヘクタール、採草・放牧地三八六ヘクタールとなっており、農耕地全体では四八ヘクタール減で、畑が一四七ヘクタール減り、採草・放牧地が一二八ヘクタールふえた。
 
〔家 畜〕家畜関係では乳牛飼養農家が九〇戸で七三八頭飼養しており、前年度より一五戸減り、乳牛は逆に三六頭ふえた。
 
〔農業従事者〕農業に一五〇日以上従事した人は男七七八人、女九九一人計一、七六九人で、前年度より男四六人、女五九人、計一〇五人減った。
 
 以上のことから、亀田町の農業は、一戸当りの経営農耕地の拡大(本年度二・三五ヘクタール)とともに、広い採草地、放牧地で乳牛の多頭飼育の傾向に移行しているといえるのであろう。