亀田高等学校
一 近江町長の意志表示
亀田高等学校沿革の概要の最後にもあるとおり、昭和四十一年三月議会において町長が「道教育長および渡島教育局長より某道立高等学校の移転誘致について相談を受け、当町としては賛成の意を表したが、亀田高等学校の将来についてこの問題と併行する意向を示されたので、亀田町の教育行政振興のため特段のご協力をお願いしたい。」と発表した。
この発言によって、亀田高等学校の問題が表面化し、高校側と町長、町教育委員会、道教育委員会などの間に幾度か交渉が続いた。
PTAでは統合反対の態度で、亀田高等学校拡大整備実行委員会を組織して交渉に当ったが、四十二年五月反対の陳情書を取り下げ、統合止むなしと考えるに至り、要望事項の実行を強力に求めることになった。
町並びに町教育委員会もその意を受け、四十二年十月道教育委員会に対し、次のような陳情書を提出した。
○ 統合に際し、全日制二間口の増募を実現し、そのうちに農業に関する学科を設置すること。
○ 亀田高等学校生徒の昼間授業(定時制)形体を維持し、生徒の取扱いに不利な処置をしないこと。
○ 亀田高等学校職員の身分に関し、不利益にならぬように処置すること。
○ 将来校舎建設にあたり現在の亀田高校生徒の教育上必要な体育館の建築を先にしてほしい。
また。亀田高等学校長浜田栄から同年十二月町教育委員会に提出した要望書は次の通りであった。
○ 本校教育課程の運営上、極力教員の異動をさけてほしい。
○ 本校の管理運営上必要職員の現員確保をはかられたい。
○ 学校運営費については、これまでの状況と大幅な差異を生ぜぬよう配慮されたい。
二 北海道新聞(四三・一・二四)の記事と亀田高校
「都市化の波を受けて三月末で姿を消す亀田高校 卒業生は三百五十人に
町立亀田高校(浜田栄校長)が、三月末日で道立函館商業高校に統合というかたちで廃止される。二十四日からの臨時議会で提案されたが、二十八年設立以来、町内にただひとつの定時制高校として数多くの農村青少年を育ててきた同校の廃止を惜しむ声も強いが、都市化の現状をみると避け得ない統合ともいえるようだ。」
設立当時は農業科を主体としていたが、次第に商業科希望の生徒が多くなり、その上夜間の予定であったのが、昼間の定時制という他にはあまり類例のない授業形体となった。亀田町の生徒より函館市その他からの入学者が増加するような事情など、都市化の波は開校当時の構想を一変しなければならない状態となっていた。
三 新しく生きるために
創立以来満十五年、第十二回の卒業式は、さすがに感慨の尽きないものがあった。教育尊重の精神の現れとして誕生した亀田高校は昭和四十三年三月三十一日をもって、函館商業高等学校に吸収され、発展的に解消した。校歌は同窓生の胸の中に生き、市民の高校への愛着の精神は、消えることなく次代に引き継がれることであろう。