まえがき

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 東山部落から鍛神小学校までの通学距離が、あまりにも遠いため、年少児童の通学は非常に不便であり、特に冬期間は苦労が多かった。地域住民は分校建築について陳情していたが、村財政の関係から、のびのびになっていた。昭和三十年六月以来、渡島支庁と相談の結果、拓殖学校として急に建設することに決定した。