「五年前開校した昭和小学校は、今や児童数一、二〇〇を越え、また鍛神小学校は一九学級に達し、急速な増加には、驚かざるを得ません。」これは昭和四十五年三月議会における教育長の説明の一節であるが、昭和小学校設立の当時においても、本通地帯に新設小学校を考え、近い将来には昭和小学校に続いて設置されることを予想していた。
亀田小学校のマンモス化を解消して、昭和小学校を設立したが、それが間もなくマンモス的傾向をみせ、また都市化の波が鍛神小学校方面におよんで、一九学級から二〇学級に達する状態であり、本通小学校を新設することによって、次の事項の解決を企図した。
一 亀田小学校の通学(中道の一部)児童約一六〇名を新設校へ移送することによって亀田小学校の学級減を図り、また、通学区域の整理を兼ねること。
二 亀田小学校へは、昭和小学校の通学区域を一部変更して、亀田小学校へ戻し、約二四〇名を移送することによって、昭和小学校のマンモス化を避けること。
三 函館市立柏野小学校に委託(本通町の一部)中の児童五九名を新設校へ引き取ること。
四 本通地帯の団地計画が進んでいるので、校地を早く取得する必要があること。なるべく広大な校地にすること。
五 移送する児童数から考えて、亀田小学校の分校として計画すべきではないかとの説もあったが、五年前同校の分校として昭和小学校が誕生したばかりであり、また本通・中道地区は本来鍛神小学校の通学区域である点から、道教育委員会とも相談の結果、鍛神小学校の分校とすることに決定したこと。
六 新設校は思い切って近代的な校舎にすること。集中暖房、水洗便所などを取り入れること。
以上によって、まず校地の取得が順調に進み、本通一一二の一から一一六までと一四三から一四七の二までの二万六、五五〇平方メートルを四、五六九万五、〇〇〇円で買収することに決定した。