復元計画とその進捗

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  一 計画策定にあたって
 昭和初期には一部の識者の間で、四稜郭に関する史料集めや史跡名勝としての保存策が話題となるようになった。しかし、旧幕軍に対する歴史的判断が、反政府、脱走軍、賊軍などといわれ、小規模なとりでを舞台に前哨戦として、短時間にその役目が終わったため、詳しい史料も残されず長い間日の目を見ることはなかった。
 昭和九年一月二十二日、史跡指定を受け、古戦場、旧跡として一時市民の脚光を浴びたとはいうものの、史実としての裏付けが浸透せず、戦前戦後を通じて史跡文化財としての価値も薄れ、耕作地となっていた。特に食糧難の終戦前後は、史跡とは名ばかり、一時(自作農創設期)は払い下げの機運さえあったという。地元の神山史跡保存会の尽力により、史跡として命脈を保つことのできたのは、まことに幸いであったといえよう。
 四十四年、亀田市教育委員会、神山史跡保存会が中心となり、また、文化庁、道教育委員会の大きな支援により、「四稜郭再発見」が企図されることになった。
 
  二 昭和四十四年度事業
 四稜郭永久保存の長期計画(第一次三か年計画)の策定と、その第一段階として、市民の間に散策地として利用されている現況にかんがみ、教育的な配慮のもとに、史跡再発見を考えることにした。すなわち、四稜郭正面に説明板、標柱を設置することを計画した。この補助事業と併行し、現状変更申請により、隣接地周辺に改良イタリヤポプラ、黒松、吉野桜、紅吉野桜、えぞ八重桜を植樹し、緑園化の端緒がつけられた。荒廃の一途をたどりつつあった四稜郭もこの年を契機に永久保存の道を歩みはじめた。
 また、町費により、四稜郭入口の道路を拡張し、併せて将来の駐車場、休憩場に充当することを考え、約八〇〇坪を買収し、四稜郭保存に対しての熱意を示した。
 当該年度の文化財保存事業費は町負担金七万五、〇〇〇円、道補助金七万五、〇〇〇円、国庫補助金一五万円、計三〇万円であり、事業内容は、銅板葺木製説明板一基二〇万一、〇〇〇円、標柱一基九万九、〇〇〇円であった。
 
  三 昭和四十五年度から同四十七年度までの事業(第一次三か年計画事業)
 土塁壕の復元を主体に事業を進め、また限られた範囲であるが、周辺の環境整備も行われ、史跡としての教育的効果を高めるよう配意した。この補助事業と併行し、四十六年、町費より市内要衝地に四稜郭順路案内の標柱の設置も実施され、地域住民への史跡再発見に役立つよう配慮した。
ア 四稜郭復元第一次三か年計画

四稜郭復元第一次三か年計画

イ 年度別事業内訳

年度別事業内訳

ウ 昭和四十六年度文化財保存事業(町費
四稜郭順路案内標柱設置
エ 昭和四十五年度より同四十七年度までの事業実績

昭和四十五年度より同四十七年度までの事業実績