和合寺
富岡町一九番地にある。
土子貞穏が函館市亀田村宇札幌通に教会所を設立し、鋭意布教に努力した。大正五年のことであった。
後、同十年二月十六日、日蓮上人降誕七百年記念事業として、自ら衣鉢を割き、檀信徒の援助を得て、亀田村谷地頭一七の五に土地を求め、同十一年八月二十八日寺院創立を出願し、本堂と庫裡を新築した。
能味喜代治、佐藤仁太郎、太刀川松平、堀川善八、佐藤庄治を総代として、同十三年七月七日、寺号公称の公認を得、七福山和合寺と称し、同十五年十月創立完了の届出をした。その後大法宣伝の道場として現在にいたっている。
境内四反歩、本堂四〇坪、庫裡六二坪余、その他一二坪余、その他所有地四反四畝二七歩。
住職は土子錬雄である。