急増の理由と実態

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 年々増加の一途をたどった亀田町は、昭和三十九年五月二十五日現在で、人口二万五、〇六八人、世帯数五、七六九世帯で、渡島管内一八か町村中第三位となり(上磯町二万五、五九四人、八雲町二万五、一三四人)、他町村ではあまり急激な増加はみられず、亀田町だけは毎月平均二〇〇人位の増加があり、あと幾月もなくして渡島管内のトップになることは確実となった。
 亀田町の人口増加の推移をみると、
 
 大正 二年  六、七六八人
 昭和 九年  九、四八二人
 〃 二〇年 一六、五八七人
 〃 二三年 一九、四七七人
 〃 二四年 一二、六六二人(港の一部函館市合併移管)
 
 この後年間二〇〇人から三〇〇人の増加となり、昭和三十年には一万四、六〇〇人と増え、このあたりより年間六〇〇人から一、〇〇〇人の増加となってきている。
 
 昭和三五年 一八、六一二人(昭和三〇年比二七・五%増加)
 〃 三六年 二〇、〇〇〇人台で一、四〇〇人の増加
 〃 三七年 二一、二〇〇人台で一、二〇〇人の増加
 〃 三八年 二三、八〇〇人台で二、六〇〇人の増加
 
 この後約半年を経た三十九年五月二十五日現在で二万五、〇六八人になったものである。このような人口増加の理由として挙げられることは、
 自然増によるものは年間二二〇人位で、その他は住宅新築による社会増が圧倒的に多い。また新築申請件数の状況をみると、
 
 三五年の新築申請は二五五戸
 三六年には    三一六戸
 三八年には    六五五戸
 三九年には    二五五戸(五月現在)
 
と一日に二戸近くの割合で新築されていることになる。この現象の原因となっていることは、函館市には既に適当な宅地となるような土地の余裕がなく、亀田町と隣接し、交通の便もよく、また地代も割安なことから、亀田町に土地を求めているためと考えられる。
 新築の多い地区は函館市に最も近い本町、富岡、昭和、港地区で、転入者は函館から七割、道内から二割、道外から一割の順となっている。この増加地区も三十九年に入ってからは、町内全般にわたってきており、赤川通や桔梗地区にも新築増加の傾向がみられるようになった。
 かくて昭和三十九年九月三十日現在の住民登録実態調査の結果、亀田町の人口は、
 
 世帯数   六、〇〇〇世帯(外国人登録法による外国人一六世帯を加えた数)
 人 口  二五、九一八人 (      〃     四二人  〃   )
 
となり、渡島管内一八か町村中のトップになった。前年の調査と比較し、世帯数で五九二世帯、人口二、〇〇三人が増加し、増加地区では富岡八五〇人増、港四〇九人増、本町二二七人増が主なもので、本通、中道、昭和の順となった。
 昭和三十九年九月末日現在と、四十年十一月末日現在の字別人口の比較は次のようになっている。

字別人口表