『明治六年御達書留』(開拓使函館支庁)によれば、明治六年五月、町村大小区画設定に際し、同年三月、次のように命じていた。
亀田郡亀田村地内 海 岸 町
右ハ函館区内え列候ニ付、以後三大区三小区え組込、取扱向等町会所え申付候間、人別其外共引渡可レ申事。
明治六年三月
民 事 役 所
亀 田 村 え
以上によって、亀田村の海岸町は函館区内へ組み込まれた。編入合併ということであろう。亀田と函館との合併第一号ともいうべきことであった。官制により、亀田村はまず海岸町を割愛したわけである。