開拓使の直接的人民把握と支配のため、またその行財政を末端まで加担すべき地方団体の形成を企図して、まず町村大小区画を設定するとともに、村名主を廃し、副戸長を置くこととし、函館支庁管下を左記のように設定した。
郡村大小区画
四大区 亀田郡小区一より七に至る村三十
一小区 亀田村 赤川村 神山村 鍛冶村
四小区 石川郷(注・明治六年石川郷を石川村と改める)桔梗村
大川村 中島郷 (『北海道志』)
従って一小区は亀田村を中心としているが、四小区の場合は大川村と中島郷(明治十二年大川村と合併して大中山村となる)が、石川郷、桔梗村と組み合わされていた。地理的に近接している点からの区画とも考えられるが、この後幾度かの分合が行われるようになった。