戸長・戸長役場の統廃合

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 旧亀田村グループと戸長は次のような変転があった。
 
  ア 赤川外三か村戸長
 亀田郡赤川、石川、桔梗、大中山の四か村戸長として戸長の任免が行われた。
 
  イ 戸長役場の合併
 明治十八年十二月二十七日付の『函館毎日新聞』によると、「桔梗村三か村戸長役場は去る九月三十日限り廃せられて亀田村外二か村戸長役場へ合併した。役場増築は十二月二十二日落成。」とあり、『亀田村郷土誌』の記述(二十一年に合併)と相違しているが、ようやく後年の旧亀田村のグループ編成が成立するようになった。
 
  ウ 再三にわたる変更
 旧亀田村グループの誕生も、間もなく明治二十年に至って例のように変更することになった。
 
  明治二十年五月三十一日 亀田郡各村の内、戸長役場を設置廃合すること左の如し
                             北海道庁長官 岩 村 通 俊
         亀田郡亀尾村を同郡亀田外八か村戸長役場の管轄に移す
 
 右によって、旧亀田村の組み合わせ(六か村)の外に上湯川村、下湯川村および亀尾村を加えるようになり、その変転が依然として続いていた。二十年四月の戸長は瀬島常隆であった。
 
  エ 北海道郡区町村名
 二十三年の北海道郡区町村名(北海道庁)によると、初めて旧亀田村グループの編成が明記されるようになった。
 
  戸長役場位置 亀田村(明治二十三年十二月調 北海道庁)
   亀田村 鍛冶村 神山村 桔梗村 赤川村 石川村
 
 幾度かの変遷を経て、ようやく旧亀田村の六か村が組み合わされて、亀田村に戸長役場を置き、六か村が顔をそろえるようになった。なお、当時の戸長は例えば高津勝之助(十八年ころ)のように、亀田村外六か村の戸長で、更に他の三か村(上湯川、下湯川、根崎)の戸長を兼ねるなどが普通であった。
 
  オ 六か村戸口表(明治二十一年)
 明治二十一年十二月における六か村の戸口は次表のとおりである。

北海道戸口表(抄) 明治二一年一二月三一日調(市立函館図書館)