日本海文化の渡来

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 津軽海峡の海流の状況をみると、日本海側から太平洋への流れに従って、人びとの往来がなされていたのが主流と考えられ、津軽地方を経由して伝えられた文化の影響力は大きなものがあったと思われる。縄文時代における物資の流通では、一般的な土器や石器のほかに、特異なものとしてヒスイや天然アスファルト、さらには石器素材である黒曜石などの移動が、この海流にかかわりをもっている。
 たとえば、海峡に面した道南地方の遺跡では、新潟県糸魚川産のヒスイや、秋田県から新潟県の沿岸で産出される天然のアスファルトが運ばれ、使用されていたことが知られている。また、中野A遺跡出土の黒曜石の一部には、青森県の日本海側の深浦産があり、反対に青森県側でも、北海道産のものが含まれていることが明らかとなっている。このように、直接的か間接的であったかを断定することはできないが、海峡を渡った人びとの手により伝えられたものの存在は、流通のルートを考える上で重要である。
 このほかに、各時代の土器文化もおそらくはこの海流に乗って渡来したことが考えられるが、すべてが同様の経路をたどっていた訳ではなさそうである。