次に、銭亀沢村における村民の階層についてみてみよう。銭亀沢村は、「(一)一定の「富層」数を析出し得るほどに、経済的偏在が認められる。(二)この上層階層は、一に曳網業者、二に多収穫の昆布業者である(一部、専業農家が加わるかもしれない)。(三)農業開発の多くは、有力な同族グループによって担われてきたと思われる、……」といった三点が指摘され、志苔村における「富」層と同じ傾向を示している。
村方三役についても、「(一)比較的古い割渡年次の昆布場所有者である(天明三年)。(二)曳網業者ではない。(三)有力同族グループに属していない。(四)昆布場所有者も松井家の四五石のほかは、ともに中程度の三〇石にすぎない。蝦子・木村・松田家などのように他を圧する経済力というほどではないようである。(五)ともに本村居住者である。」(鈴江英一『北海道町村制度史の研究』一九八五)とあるように、志苔村と似た傾向がみられる。
また、松前郡の清部村や福島郡宮歌村、白符村においても村内の「富」層に属すると思われるものは、多くは古くから代々村の居住者で、村の中心地に宅地を所有している。そして、村方三役を務めるのはこれも村の中心地に宅地を持ち比較的古くからの居住者であるが、必ずしも大きな家の者がその任にあたっていたわけではなく、中程度の家の者が多かった。