和人集落の拡大

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 ここまでみてきたように銭亀沢地域では北海道内の他地域に比べてもかなり早い時期である一六世紀には和人が移住し、本州の漁村と同じように漁業をおこなう傍ら零細ではあるが農業もおこなっていたことがわかった。松前、福島地域においても同様である。ただし、北海道の場合、海付農村の漁村化という事情によるというよりは、漁業生産の不足を補うため主に自家用野菜などを作るといった形でおこなわれ始めた農業であったといえる。
 銭亀沢においても松前においても古い移住者の居住地域の経済的価値が高く、そこが村の中心地となり、分家や他からの移住など戸数の増加にともない集落が拡っていく様子をみることができた。このような漁村において、徐々に大きな漁家と呼ばれるような経済的に優位にある者が現われるようになる。これらの者はその経済力により大きな海産干場を所有し、耕地を増やしていった。この耕地を小作人に耕作させ、また、海産干場の開発により海岸部が埋め尽くされるという事情にもよるのだろうが、増えた労働力が農業開発へ向かい、専業で農業に従事する者も現われてくる。このように海岸部および川の流域など奥地へ和人の所有地が拡るのにともない、それまでそこを居住地としていたアイヌが生活の場を追われることとなった。