海産干場利用の調整

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 次に海産干場の所有のしかたについては、銭亀沢地域では、それぞれ宅地の前浜に個人で昆布場を所有していたが、松前、福島地域では近代初頭まで個人の海産干場所有はない。このことはその利用方法、つまり漁の種類の違いによるものと考えられる。昆布漁のような個人個人でおこなう漁と鰯漁のように多人数で共同でおこなう漁とでは当然海産干場のあり方は違ってくるであろうし、また、追鯡漁や前浜での雑漁などの場合は常に海産干場を必要とはしなかったであろう。必要に応じ村で調整をすればことたりたわけである。
 地租創定により海産干場の私有化が推し進められると、村が海産干場の調整をしていた地域でも一部の者が経済性の高い海産干場や広い海産干場を所有し、発展していった。しかし、大部分の海産干場は所有者は決められたものの引き続き村が使用のための調整をおこなっていたと思われる。銭亀沢のように従来から昆布場を個人で所有していた地域でも地租創定時に一部の海産干場の共同所有を願い出ているように、これの使用のための調整は村がおこなっていたのであろう。