樺太の旧教徒との結婚

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 前にかかげた地図(図1・5・3)でみるとおり、中宮の漁場の近くに荒栗[ヴィセルキ]という村落がある。ロシア人旧教徒が住んでいる集落があり、ここが花婿候補の住んでいる村であったのだ(大正八年三月十七日付「函新」)。
 日露戦争後も南樺太に「残留露人」といわれる人びとが住んでいたのだが、その中には旧教徒もいたのである。戦争前の明治二十九(一八九六)年では、島の旧教徒は男一〇八人、女一一人という記録がある(明治三十一年二月九日付「小樽新聞」)。
 中宮亀吉は、ここのロシア人たちとどういうきっかけで知り合いになったのだろうか。ともあれ、見合い話をもっていけるほど交流があったということは事実なのである。
 亀吉の孫の文子はロシア人たちについては何も覚えていないが、ただ花婿の名前が「ミケタ」といったことだけは記憶していた。このミケタの名前は、新聞にも登場している。ちなみに、ミケタ(ニキータ)は名前で姓はエヒモフ(エフィーモフ)というが、これはあとに述べる資料に書かれている。見合いの結果がどうなったのか新聞に記されているので要約しよう。
 
  見合いに男ぶりをあげようと奇麗に髭をそって来たミケタだったが、これがナスちゃんの両親には気に入らなかった。神の教えにそむくからである。しかし肝心のナスちゃんがミケタを気に入り、樺太には帰したくないというので、髭はいずれのびるものだからと話がまとまり、ミケタの父親だけが樺太にもどることになった(大正七年十一月三十日付「函新」)。
 
 ミケタの宗教もまちがいなく旧教であることは、次に紹介するが、同じ旧教でも相違があるのであろう。いずれにしても、こうして、ミケタとナスちゃんは志海苔の裏山、すなわち団助沢で暮らすことになったのである。