戸井電気軌道株式会社

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 戸井電気軌道株式会社は、函館の兵藤栄作、渡辺孝平ほか一三名が発起人となり、昭和二年十二月三十一日付けで出願された(昭和六年「鉄道省文書」国立公文書館蔵)。
 起点は亀田郡銭亀沢村大字根崎村字高松一番地、終点が同郡戸井村大字小安村字釜谷九番地の哩程八哩二六鎖、途中に待避線延長四五鎖を設けた全線が単線で、新設軌道のほか、数か所が下海岸を走る準地方費道に線路を設ける併用軌道とした電気軌道である。
 同社から出された出願書には事業の効果として「本軌道の勢力範囲は、農耕地に乏しく爾来漁業地として発達し、人口三万七千以上にして之年産額三十九万円以上に達するに不拘、交通機関は僅に一条の準地方費道と発動汽船に依る外途なく、従て生産品の搬出及日用品の供給等は主として車馬に依るを以て、交通頗る頻繁にして高速度交通機関の完備の要求すること切なる状態なり、故に本軌道の実現を見るに至らば、経済上稗益する所極めて大なる」(前掲「鉄道省文書」)とあり、高速交通機関である鉄道を敷設することによって下海岸地域の交通を改善し、地域の産業発展に寄与する効果があるとしている。
 戸井電気軌道の特筆すべき点として、起点が函館市内ではなく銭亀沢村大字根崎村であること、また、電気軌道であり、その電力を函館水力電気株式会社から供給を受けるということ、軌間が函館市内を走る函館水電の電車と同じ四呎六吋(一三七二ミリメートル)としたことが挙げられる。これらの点から、将来的には函館水電の終点である湯川と同軌道の起点である根崎間に線路を敷設し、電車の相互乗り入れをおこない、函館市内から戸井村釜谷までの直通運転を想定していたのではないかと推察される。
 しかし、戸井電気軌道は出願から三年後の昭和六年一月に却下された。その理由に「本出願線は、省線予定線に平行し且つ、目下の交通状態に於いては更に其の敷設に必要認められさる」(前掲「鉄道省文書」)とあるように、鉄道省が敷設を予定している釜谷鉄道と平行する同線は、地域交通上においても不必要であるとされた。