私設大間鉄道敷設計画

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 地方鉄道として計画された大間鉄道は、当初は昭和三年七月三十一日付けで田名部、大奥村(大間)間が申請されていたが、田名部町、大畑村間が国有鉄道建設線に該当するという理由から田名部町、大畑村間を除いた大畑村、大奥村(大間)間として昭和三年十二月に免許を受けた私設鉄道である(自昭和四年至昭和七年「鉄道省文書」国立公文書館蔵)。同時期に北海道本土連絡鉄道、斗南軌道の二社からも申請が出されていたが、大間鉄道が敷設免許を受けたものである。発起人は高橋辰次郎ほか七名で、その中には堤清六をはじめ、函館の平塚常次郎、太刀川善吉、岡本康太郎が名を列ねており、函館での大間航路開設を視野に据えて同鉄道敷設を考えたものとして注目される。
 敷設免許を受けた大間鉄道は、条件として「其ノ実施設計ニ当リテハ成ルベク国有鉄道建設規程ニ準拠スル様考慮有之度」(前掲)と国有鉄道線並みの基準で敷設することとなったが、資金繰りの点で順調には進まず、工事施行認可期限の延長を二度も申請したが、ついに昭和七年起業廃止となった。これにより同地域の鉄道は、国有線大間鉄道の敷設待ちとなったのである。