大間鉄道と函館大間間航路

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 大間鉄道速成運動が展開されていたこの時期、函館では大間鉄道の完成により青函航路の補助航路として函館、大間間の航路開設を強く意識していた。北海道農会が昭和十年七月十日に函館大間間連絡航路開設の陳情書を政府、陸軍当局へ提出(昭和十年七月十二日付「函毎」)したのをはじめ、昭和十年九月一日付け「函館新聞」は函館市民の函館大間間航路開設促進運動を紹介している。
 また、大間鉄道沿線にある大畑町(昭和九年町制施行)では、同線の着工が目前となった昭和十一年十一月、拡張工事中の大畑港と函館、室蘭航路の開設を目論み、大畑港湾期成同盟会を設け軍部などに陳情をおこなっている(昭和十一年十一月二十八日付「函新」)。
 この一連の動きの中で、対岸北海道との連絡鉄道としての大間鉄道速成運動は、函館を直接意識したもので、戸井、大間間航路と釜谷鉄道速成運動とは連動せずに進められていたことがわかる。函館においても、函館港の位置付けなどから大間航路開設を重視、そのため釜谷鉄道速成運動には消極的であったといえるだろう。