下海岸地域の交通は、大正末期より進展した道路整備に伴い、昭和初期には自動車交通に大きく依存していた。昭和十一年現在の乗合自動車は函館駅前、根崎間を旭乗合自動車が運転回数五〇回で運行、また函館駅前から湯川経由根崎間を函館乗合自動車が運転回数一〇〇回で運行、これに接続する下海岸自動車が一日一〇回運転されていた(昭和十一年四月十六日付「函毎」)。下海岸自動車はすでに昭和七年に湯川、椴法華間の運行を始めていた(『函館市史』通説編第三巻)。
貨物輸送でも、昭和十一年九月には丸通函館運送社が定期運転の貨物自動車を函館、湯川間から戸井村まで延長している(昭和十一年九月十五日付「函日」)。このトラック業者による輸送では、貨物以外に隠れて旅客営業をおこなう業者もいたようで警察による検挙騒ぎも起きていた(昭和十一年四月十一日付「函毎」)。
このようにそれほど輸送量が多くないこの地域では、自動車による交通が主力となって、十分に機能を発揮していたと思われる。