北海道総合開発計画と戸井線の終焉

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 戦後の復興期、豊富な資源が眠ったままとなっていた北海道の開発が急務とされ、昭和二十三(一九四八)年、北海道庁で十か年計画の北海道総合開発計画が策定された。この計画書では、農業、開拓、水産業など北海道の資源開発の目標とその方策、運輸交通などの北海道総合開発の施設などについて詳細に報告されており、その内の鉄道については現況を述べ、開発に必要な新設要望鉄道として計三四線を挙げていた。この中に未竣工線であった戸井線も椴法華まで延長した函館、戸井、椴法華間四七キロメートルとして加わっている(『新北海道史』第八巻史料二)。
 昭和二十七年、これら新設要望線がつぎつぎと建設されていったが、戸井線は建設されないままでいた。昭和三十年代に入り国鉄の赤字線が問題となり、この新線建設もほとんどが開業後に赤字と予想されることから、慎重に新線建設を進めることとなった。その後国鉄は財政再建問題から新線建設を日本鉄道建設公団へ分離するなど国鉄を巡る厳しい状況の中、戸井線が建設されることはなかったのである。
 昭和四十六年九月、ついに戸井線の用地が函館市をはじめ沿線の町に総額約八五六八万円で売却され、トンネルなどその他土工設備は無償譲渡された(『北海道鉄道百年史』下巻)。これにより戸井線は将来的にも建設されることのない未完の「幻の鉄道」として終わりを告げたのである。跡地は現在、サイクリングロードや道路として一部が使用されているが、銭亀沢をはじめ戸井周辺に残るコンクリート路盤などの跡地だけが釜谷鉄道・戸井線の歴史をとどめている。