コラム(大野平野西縁の活断層)

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 平成七年一月十七日早朝に起きた神戸、淡路島を中心とする阪神大震災は、記憶に新しい。大野平野の西側にも南北に走る大きな活断層群がある(活断層研究会、1991・太田ほか、1994)。この断層群は、ここ数百年はさしたる動きをしていない。それだけにいったん活動すれば、函館にも大きな被害を及ぼす可能性がある。どのような性質の活断層であるか気になるところである。平成七年十月初旬、活断層群の一部を実際に掘削して調べるトレンチ調査が大野町向野で行われた(鴈沢ほか、1996)。
 この時の調査では、二本のトレンチのうちの一つから、明瞭な地層の食い違い(変位)を見せる逆断層が現れ、皆を驚かせた。その変位量はすべり面自体で一四〇センチ、垂直方向で九〇センチ、水平方向で一二〇センチであった。断層に沿って礫の立ち上がりや、変形した細粒砂層やシルト層が認められ、きわめて強い押しの力が働いたことを物語っている。変位は地層のみにとどまらず、活断層上の地形も大きく変形させ、現場の河岸段丘面は、比高九メートルに及ぶ撓曲崖と呼ばれる段差で上下にずれている。段丘の形成年代が約二万三〇〇〇年前とわかっているので、地形的にみたこの活断層の変位速度は〇・四メートル/一〇〇〇年となる。
 この変位速度は、いわゆるBクラスのものであるが、活断層群は函館市の中心部からわずか一〇キロメートル余に位置する。昭和十三、十四年には、この活断層北半部付近を震源とする、最大震度ⅢからⅣの有感地震も記録された。神戸などと同じ直下型の地震をも想定した防災対策が、函館市では必要であろう。

平成8(1996)年3月6日噴火直後の渡島駒ヶ岳
(鴈沢好博氏撮影 北側から新噴火口を望む、向こう側に大沼が見えている。)

 噴火の翌日に撮影された写真。夜間の小噴火であったため、詳細が分からなかったが、その後の調査により、降灰は、南南東方向に七飯スキー場などの雪を汚した後、25キロメートル離れた函館市亀田中野町近くにまで及んだ。