この時の調査では、二本のトレンチのうちの一つから、明瞭な地層の食い違い(変位)を見せる逆断層が現れ、皆を驚かせた。その変位量はすべり面自体で一四〇センチ、垂直方向で九〇センチ、水平方向で一二〇センチであった。断層に沿って礫の立ち上がりや、変形した細粒砂層やシルト層が認められ、きわめて強い押しの力が働いたことを物語っている。変位は地層のみにとどまらず、活断層上の地形も大きく変形させ、現場の河岸段丘面は、比高九メートルに及ぶ撓曲崖と呼ばれる段差で上下にずれている。段丘の形成年代が約二万三〇〇〇年前とわかっているので、地形的にみたこの活断層の変位速度は〇・四メートル/一〇〇〇年となる。
この変位速度は、いわゆるBクラスのものであるが、活断層群は函館市の中心部からわずか一〇キロメートル余に位置する。昭和十三、十四年には、この活断層北半部付近を震源とする、最大震度ⅢからⅣの有感地震も記録された。神戸などと同じ直下型の地震をも想定した防災対策が、函館市では必要であろう。
平成8(1996)年3月6日噴火直後の渡島駒ヶ岳
(鴈沢好博氏撮影 北側から新噴火口を望む、向こう側に大沼が見えている。)
噴火の翌日に撮影された写真。夜間の小噴火であったため、詳細が分からなかったが、その後の調査により、降灰は、南南東方向に七飯スキー場などの雪を汚した後、25キロメートル離れた函館市亀田中野町近くにまで及んだ。