「銭亀沢火砕流」とは

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 第四紀後期の銭亀沢における特筆すべき環境変遷の一大事件は、「銭亀沢火砕流」の噴出、堆積である。海岸沿いの国道二七八号線を走ると、ときおり高さ七、八メートルに及ぶ白亜の崖を見ることができる。近づいてみると、白色のパサパサした砂を主体とする細粒物質が、角張った大小さまざまの礫を含んでびっしりと詰まっているのがわかる。大きな礫になると直径三メートルほどもある。これらは、雲仙普賢岳で一般にも有名になった火砕流堆積物そのものである。火砕流とは、爆発型の火山から大量に吹き出した高温(九〇〇度近くにも達する)、高速(時速一〇〇キロメートルを越える)の、ガスと物質の混合流であるから、もしこの噴出に出会うならば、瞬時に命を失うことになる。
 この火砕流は、当初、海岸段丘を覆う火山灰で、噴出源も下北半島方面などとされていたが、火砕流堆積物であることが確かめられ、「銭亀沢火砕流堆積物」と一括して呼ばれるようになった(湊ほか、1973.瀬川、1975.1980)。近年、山縣ほか(1989)は、その岩石学的な特徴および層序関係を詳しく調べて、函館市民にとっては興味深い結果を示した。また、鴈沢ほか(1990)も、「銭亀沢火砕流」の噴出過程を、岩石学的な検討から復元した。さらには近年、海面下の詳しい地形も明らかにされており、これらによって、「銭亀沢火砕流」を紹介してみたい。

銭亀沢火砕流堆積物からなる海岸の崖(石崎町付近)

 均一な地層ではなく、巨礫を含む粗粒の層や、細粒物を主とするものなどに細分され、短期間であった噴火時にもその様相が次々に変化したことを示している。