「銭亀沢火砕流堆積物」は、日吉町面と呼ばれた海岸段丘の海側に連続して厚く分布し、函館の沖積層下にも分布するという(山縣ほか、1989・図2・1・8)。銭亀沢の標識的な海食崖での観察によると、この火砕流堆積物は、溶結してはおらず、最大径一〇センチ程の軽石粒と岩片および多量の細粒火山灰からなる。軽石は丸く摩耗して、細かく発泡し、火山本来の物質の他、大きな安山岩片や花崗岩片も僅かに含まれている。それらの粒径は汐
泊川河口付近で最も大きく、一メートルを越えるとした。山縣はまた、この時の噴火で舞い上がった火山灰が強い偏西風に乗って、遠く日高地方や十勝地域南部にまで延びていることを確かめた。これらの事実から、一連の噴火が、まず軽石を噴出し、その後それも混じえながら、火砕流を一気に流し出す噴火に移行したことがわかる。
鴈沢ほか(1990)も、段丘礫層上に厚さ一〇から二〇メートルで堆積する火砕流堆積物と赤川面などの降下火山灰の性状を調べ、火砕流堆積物を前期、後期の二期に分けた。すなわち、前期の堆積物の重鉱物組成は茶色角閃石の量比が高いことを特徴とするのに対し、後期のものは緑色角閃石の量比が高く、こちらのみにカミングトン閃石が出現することを見い出した。これによれば、あまり時期を隔てないで、函館付近では二回の火砕流が生じたことになる。
図2・1・8 銭亀沢火砕流堆積物の分布(山縣ほか、1989より)
海岸段丘の上にも、函館市街の沖積層からなる砂州の地下にも広い範囲に火砕流が流出した。また、さらに大きな範囲にこの噴火による火山灰が降下した。