〈昭和四十七年八月三日の大雨〉

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 七月下旬、西日本の太平洋側の各地は台風第七号、九号に相次いで襲われ、高波で二一人死亡、一九人行方不明という新聞記事が出ている(気象協会編『気象年鑑』一九七三年版)。台風第七号は、その後中国大陸に上陸して温帯低気圧に姿を変えたが、八月三日には沿海州からオホーツク海へ進み、低気圧の中心から延びる活発な前線が渡島半島を通過した(図2・2・20)。
 この日、明け方前から降り始めた雨は、午前八時頃から雷を伴って雨足が強くなり、函館空港出張所では午前一〇時と一一時に一時間雨量それぞれ六二ミリと六一ミリの記録的な大雨となった。日雨量は一七四・五ミリを記録し、美原では降ったことのないような激しい雨である。銭亀沢地域の被害は、死者一名、負傷者六名、家屋全半壊二四戸、浸水二二七棟、道路損壊一一か所、崖崩れ一九か所などで、銭亀沢にとっては近年最大規模の災害となった。

図2・2・20 昭和47年8月3日09時の天気図


大雨による崖崩れ現場(新湊町・昭和47年8月3日)北海道新聞社提供