この漁業は主に大羽鰯を漁獲するもので、大正七(一九一八)年水産試験場が江差町で試験操業に成功して以来、日本海から津軽海峡でおこなわれるようになった。銭亀沢村では昭和八年に、石崎で九隻、銭亀沢で二三隻が操業している。
中船に三、四人ないし五人が乗り込み、外に磯船を随伴させることもあり、この場合、七、八人の者が従事した。
漁期は五月上旬から六月下旬ないしは七月上旬で、漁場は、石崎では水深一〇尋前後、銭亀沢では三〇尋以下で、操業は、前浜から汐首岬に至る海域でおこなわれた。漁獲高は昭和八年で一隻当たり約五〇石であった。
鰯漁業ではこのほかに、船曳網漁業と落網漁業があったが、船曳網漁業は前述した流敷網漁業の普及とともにそれに転向するものが多く、落網は銭亀沢で一か統、宇賀で二か統存在した。