漁業法による漁業組合

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 このように、明治十年代後半以降において、北海道各地に漁業組合あるいは水産組合などの漁民団体が作られていたが、後に漁業協同組合の原型となる漁業組合は、この明治三十四年の漁業法によってその基礎が与えられた。
 同法によれば、「一定ノ区域内ニ住所ヲ有スル漁業者ハ行政官庁ノ認可ヲ得テ漁業組合ヲ設置スルコトヲ得」(法第一六条)るとして、漁業組合が一定の区域内に居住する漁業者によって設立されることになった。また、「漁業組合ハ漁業権ノ享有及行使ニ付権利ヲ有シ義務ヲ負フ但シ自ラ漁業ヲ為スコトヲ得ス」(法第一九条)、および「漁業組合ニ於テ其地先水面ノ専用ノ免許ヲ受ケタルトキハ組合規約ノ定ムル所ニ依リ組合員ヲシテ漁業ヲ為サシムベシ」(法第二〇条)とあり、従来村が管理していた漁業権(地先水面専用漁業権)の享有主体として、漁業組合が、組合員の漁業権行使ないしは漁場利用に対する管理機関としての役割を担うことになった。
 北海道の場合、明治三十六年三月に岩内漁業組合が設立されたものの、その後組合の設立は緩慢で、明治四十五年までに八七の漁業組合が設立されている。銭亀沢地区では、漁業組合の設立はさらに遅く、大正末から昭和初期と、道内他地区に比べても著しく遅い。これは、旧来の漁場利用慣行が存在しない北海道の一般的状況によるものか、あるいは前にも触れたように、この地域では、漁場の境界が明確で旧来の慣行が厳格に守られている限りは、漁業組合の必要を感じていなかったためか、その理由は不明である。
 この漁業組合は、明治四十三年の漁業法改正によって法人格を持ち、漁業権の享有主体に止まらず、組合員の漁業に関する共同施設をなすことが認められ、共同販売、共同購買、漁業資金貸付などの経済事業をおこなうことができるようになった。漁業組合は、単なる漁業権の管理団体に止まらず、経済事業体としての体裁も整えられるようになったのである。
 こうしたなかで、道内でも漁業組合の設立は活発になり、昭和七年には一五三の組合数に達した。前に挙げた『渡島支庁水産業概要』に、昭和八年度における銭亀沢地区の各漁業組合の概況が記載されているので、表3・1・15にまとめておく。当時の漁業組合の状況を知ることができよう。

表3・1・15 銭亀沢地区の漁業組合概況-その1-


表3・1・15 銭亀沢地区の漁業組合概況-その2-