太平洋戦争の戦局悪化とともに、漁業協同組合に対しても国家統制が一段と強化され、弱小組合の整理統合が進められ、昭和十八年三月、水産業団体法が公布された。これは従来から存在した漁業組合と漁業協同組合を漁業会に統合し、道府県段階の漁業組合連合会を道府県水産業会、さらに、全国漁業組合連合会を中央水産業会に改編しようとしたもので、沿岸漁業全体を一本化して、漁業者団体を戦争遂行のための協力体制の一環に組み入れることを目的にしていた。
すなわち、「漁業会ハ水産業ニ関スル国策ニ即応スル」(同法一一条)ことが、一義的目的とされ、会長は「総会ニ於イテ推薦シタル者ニ就キ市町村長ノ意見ヲ徴シ地方長官之ヲ命ズ」(同三一条)として任命制になるなど、自主性と民主性といった協同組合本来の性格は全く否定されることになった。
これによって銭亀沢村では、従来の銭亀沢、宇賀、石崎の三つの漁業協同組合が合併して、昭和十九年六月十五日、銭亀沢漁業会が作られた。設立総会の模様を当時の新聞は次のように伝えている(昭和十九年六月十七日付「道新」)。
銭亀沢漁業会の設立総会は十五日午前十時より同村国民学校に招集された宇賀、石崎両協同漁業組合が発展的解散して新たに銭亀沢漁業会として新発足するので役員問題で一と波乱を予想されたが各部落から三名づつの銓衡員九名をあげて協議した結果極めて円満裡に人選を終り会長以下左の如く決定を見同午後三時散会した。
会長九島喜代吉(元銭亀沢漁組合長) 理事和泉亀之助(宇賀) 同川村沢蔵(銭亀沢) 同川村弘(元石崎漁組合長) 同中宮徳次郎(宇賀) 同蛯子綱太郎(銭亀沢) 同笠原三太郎(石崎) 専務理事松代一郎(元石崎主事) 監事中宮亀吉(宇賀漁組合長) 同岩田久次郎(銭亀沢) 同亀田金助(石崎)