イワシがこない年は平年の三分の一くらいで、それが二、三年続くとまたよくなり、一〇年くらい続いた。大正と昭和が一番多く、一番盛んだったのは戦前の昭和十五年頃であった。
イワシ漁は、十一月から十二月が盛漁期で、コンブ漁が一段落する十月には漁の準備が始まった。この時期になると、本州各地から出稼ぎ漁師が集まってきた。彼らは、主に戸井やそれより東のいわゆる下海岸を目指して、身の回りの荷物を背に徒歩で向かっていった。
イワシ漁は「曳網」と呼ばれる地曳網と、建網と呼ばれる定置網が主体で、津軽海峡では流敷網、マキ網(揚繰網)、雑網(船曳網)、流網、タモ網などの各種の漁法がおこなわれた。また、春先には刺網もおこなわれた。これらは海岸の地形や海底の状況によって使い分けられた。
銭亀沢は主に曳網が中心であった。今でも、古川町の海岸には数棟の番屋が残り、イワシ漁船と船具、漁具が多く残されている(口絵参照)。また、隣町の戸井の海岸にはイワシの枠船を引き入れた「フナマ」の跡が残っている。ここでは、銭亀沢のイワシ漁を「地曳網漁」を中心に紹介する。
フナマ(戸井町)