利尻・礼文のニシン場

266 ~ 266 / 521ページ
 戦後の出稼ぎ先は、利尻、礼文が中心となった。ここでは、下海岸の漁師は、地元の刺網漁師が、個人でおこなう刺網に雇われる場合が多かった。雇われるのは一人で、歩合制が多かった。漁師の家にまり込みでおこなった。刺網は三人が磯舟に乗って出漁した。これに使用するイソブネは銭亀沢と同じ船形であったが、やや大型であった。
 ニシンが来ると、海の中が真っ白になる。刺網は、網入れの場所は自由で、建網の間をぬって、海岸のすぐ近くに海岸なりに入れた。網をおろすときには一人が櫓を押し、他の二人が網を投げ入れた。網をおろすとすぐニシンがかかるので、そのまま網をあげてオカに運ぶ。これを何一〇回も繰り返す。漁期の中でニシンがクキルのは一回か二回で、夜も昼も休む間もない、短時間の勝負となった。
 剌網でとったニシンの加工は、主にミガキニシンとカズノコであった。大漁の後のニシンの加工には何日もかかった。