現在、銭亀町こどもを守る会、新湊町こどもを守る会など町会ごとに子どもを守る会が活動している。
昭和三十年代後半、地域の中学校が荒れ、生徒たちが勉強をしない状態が続いていた。当時、中学校に教頭として赴任してきた鈴木先生が中心になって、このような状況を改善すべく会の結成を父母に説いた。このような経過で、昭和四十一年、児童、生徒の非行防止策の一環として、青少年の健全育成を目的に会が結成された。自己中心になりがちな子どもたちを団体活動を通して心身ともに健やかな子どもの育成を念頭に学校、家庭と歩調を合せ、事業面での協力を得ながら活動の促進を図ってきた。
この会は、銭亀沢地区を構成する八つの町から構成される「銭亀沢地区子どもを守る会連絡協議会」である。役員構成は、会長一名、副会長二名、監査二名、事務局長一名(銭亀沢中学校の教員)である。全体の連絡協議会の役員は選挙で選ばれ、任期二年で、年に一度総会が開催されるが、現在は三月に開催されている。
さらに各町会の子どもを守る会には会長一名、理事二名、監事のもと、下部組織として分団がある。昭和四十年代に活動が活発であった石崎町子どもを守る会の場合をみてみる。
石崎には、七つの分団、すなわち崎分団、石崎分団、中村分団、白石分団、目名町分団、谷地分団および鶴野分団があった。ただし、函館市との合併後、鶴野は石崎から分れている。各分団ごとに選挙で選ばれた会長一名と班長四、五名がいた。この会の活動はもともとは各町内会単位であったが、昭和四十六年頃から銭亀沢地区全体で行事、活動をおこなうようになった。活動の対象者は、中学生と小学生が中心であった。スポーツ大会としてドッジボール、野球、ソフトボール、ハイキング、夏の早起きラジオ体操、八幡神社の祭典の時の子どもみこし、節分の豆まき大会などであった。
昭和五十一年には、函館市銭亀沢地区子どもを守る会連絡協議会が『家庭のともしび』を発行し、配布した。また、昭和六十年代以降、銭亀沢地区全体の運動会が実施されるようになった。現在では、函館市子ども会育成連絡協議会の組織の一員になっており、市の子どもの祭典には参加している。
石崎の子どもを守る会は、指導者の高齢化が進んできたうえに、当初は協議会が全体の事業をおこなっていたが、ある時期から各町会が事業単位となる制度にかわったため、各町会の指導者によって、活動に地域差が生まれ、問題となった。また、会費も全戸から徴収していたが、子どものいない世帯から苦情がでて、子ども単位の会費徴収に変化した。また子どもたちの関心が変化してきたこと、塾に通う生徒が増加し、日曜の行事に参加する学生数が減少したこと、地区の役員のなり手もなくなったことなどから会の活動が以前と比べると低下してきたという(田中勝廣談)。