漁のキリアゲと祝い半纏

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 漁のキリアゲに、雇い主は祝いとして屋号の入った祝い半纏と日本手拭を作り配って着せた。半纏は単衣仕立の厚地木綿地を使った腰丈までのもので、背中には屋号、衿には屋号と姓名、裾には波模様などの図柄が紺地に白で染め抜かれたりしていた。手拭は晒に屋号や漁場名、大漁の文字や波模様などの図柄を白地に黒や紺色で染め抜いたものである。
 漁のキリアゲではお膳を作り、祝い半纏を着てご馳走を食べて祝った。昭和初期の鰯漁の切り上げはそれはもう賑やかなものだったそうである。この祝い半纏は祭りや祝い事がある時に着たが、古くなるとドンジャ代わりに働く時にも着た。
 祝い半纏は、網元が函館のソメヤ(染物屋)へ行って注文して作った。ソメヤでは大漁旗も扱っており、当時は函館の十字街から駅前にかけては問屋町で、網元は行きつけのソメヤを決めて注文した。出来上がった時は、馬車屋(運びを商売にしており、醤油や塩を頼んで買って貰った人もいた)が持ってきた。
 祝い半纏と手拭の支給は鰯漁の盛んな昭和十年代くらいまでおこなわれていたが、鰯が不漁になり、イカ漁になると手拭だけを支給した。

祝い半纏(松田トシ蔵)