春の日常食

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 春の日常食は、秋に収穫して保存しておいた野菜(アザミ、人参、大根、キャベツなど)、フキの塩漬け、ワラビ、ゼンマイの干したもの、春になって芽を出した山菜、ワカメ、昆布、干ガレイ、それに魚を素材とし自給自足であった。秋にムロにうめておいたジャガイモは五月頃まで食べた。
 朝食はご飯、汁物、おひたし、漬物の一汁一菜であり、時には海苔の佃煮も出された。飯はほとんど白飯であり、たまに麦を混ぜたりした。汁は菜っ葉汁であり、菜っぱは秋に採って塩蔵しておいた大根の葉やカタクリ、沢アザミなどであった。カタクリは多く食べ過ぎると下痢をした。漬物はほとんど古漬けであった。
 ホッケ漁のある時は主婦は朝の二時頃から起き出し、食事の準備をして漁に出る人たちにほかの家族より先に朝食をとらせ、その後老人や子どもたちに食べさせた。子どもたちは朝食までには与えられた仕事を全部終了させた。
 昼食は、家に残っている人の場合はイモを食べた。主婦は洗濯や家の周りの仕事を終えると手かごに半分から一杯(約五キログラム)のイモをむいて塩煮にした。皮は肥料にした。塩煮のイモにイワシのぬか漬けの煮たり焼いたりしたものや塩引き鮭やイカの塩辛を添えて食べていた。イカの塩辛はストーブの上に昆布を敷いて焼いて食べたりした。また糠漬けニシンの身を三枚に下ろしてそのまま酢漬けにしてイモのおかずとして食べた。この献立は、イモのなくなる五月中頃まで続いた。
 イモを食べたくない人は、朝食の残ったご飯を冷めないように「エンツコ」と呼ばれる入れ物に入れ、保温しておき、隠れるようにして食べた。春には、ヨモギ入りのイモ餅もよく作って食べた。
 子どもたちや漁に出ている男たちは弁当であった。子どもたちの弁当は、白飯にすじこ・鮭の缶詰・鮭の焼いたものや、豆漬け・胡瓜漬けなどの組合わせであり、漁に出る男たちの弁当は焼き魚、漬物、それに木のおひつに詰めた白いご飯であった。塩鮭などの塩魚や春ニシンは、春から夏にかけて売りにくる「イサバヤサン」から買った。
 おやつには冷やご飯で作った甘酒や、塩ゆでにしたカニなどを食べた。ゆで煮サツマイモは高級品でなかなか食べられなかった。甘酒は、ご飯茶碗に二杯くらいも飲んだ。小さいカニは甲羅ごと口に入れて、食べられない硬い部分を後で口から出した。サツマイモは馬車やリヤカーにつんできた男たちから物々交換で手に入れたものである。
 夕食はほとんど毎日三平汁で、準備が簡単なので祖母が仕込んだりした。夕食は日が沈む五時頃であった。生きのよい魚がある時は味噌汁や煮付けにした。三平汁はニシンの糠潰けを主に用いたが、ニシンの代わりに鮭の頭や骨も用いた。イワシのすし、イワシの切り込み、イワシの糠漬け、イカのすしなども食べた。ヒラメやスズキの刺身もよく食べた。