正月

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 元旦の朝には、主人が誰よりも早く起きて炭をおこし、家族全員分の餅(もち)を焼いた。その後主婦が起きて、主人の汲んできた若水でご飯を炊き、主人の焼いておいた餅で雑煮を作った。これには一家の主人が家族を養うという意味が込められていた。
 元旦のご馳走は雑煮のほか、鯨汁、煮しめ、ナマス、かまぼこ、子和え、黒豆などであった。カント豆も正月の食べ物であり、リンゴやミカンは正月にのみに食べる貴重な果物であった。元旦に食べる雑煮は、自分の家で作った鰯だしと昆布だしでとった煮出しを用いた醤油仕立てで、具には、人参、ゴボウ、大根、油揚げ、かまぼこ、ネギ、生ノリを用いた七色の雑煮であった。
 一月七日は松引きである。その日のご馳走は切餅入りのおかゆ、正月に作った煮しめ、鮭の焼き物などであった。この日はお供えも下ろした。これは保存食となり、食べる時に水に浸し干してきな粉餅にしたり、干したのを砕いて細かくして、煎って煎り餅とした。
 一月十五日の小正月には、けの汁、茶碗蒸し、ちらしずしなどを食べた。そのほかの料理は年とりと同じであった。
 銭亀地区のそのほかの地区においても前述したような料理がつくられていたが、昭和初期から元旦に寿司やハムを食べていた所もあった(銭亀町、新湊町)。
 現在でも、正月には神仏にお供えやお神酒を供えたり、昭和初期とほとんど同様なご馳走を準備するが、餅を搗く家は少なくなり、ほとんどの家では餅屋から買ったお供えを供えている。また、元旦の口取りやおせち料理に、おでんなどのお惣菜的料理も加わってきている。