観音講は毎年一月十七日におこなわれ、古川町の女たちだけによる年中行事の一つである。この行事は、ほとんどの年中行事が各家庭単位で行われるのに対し、地域の一〇〇人以上の女たちが古川町会館(以前は寺務所)に集まっておこなわれる。
観音講の後に「ふれあい」がおこなわれた。「ふれあい」は料理を食べ、お酒を飲み、歌や踊りなどを楽しみながらの地域の人びととのコミュニケーションの場である。古川町に住む女たちにとって、これは一年の始まりを告げる行事である。祭壇に供えられた供物は最後に参列者に均等に配られた。また、ご馳走がなくなった時や、その宴会の終了の時がくると、「杓子舞」や「へら舞」をしてそのことを伝えるのだという。
これらの行事は代表二名と奉仕で手伝う約二〇名の人により準備される。この行事に奉仕した人の名前が記された垂れ幕が昭和四十年頃から会場の壁に張られるようになった。この行事の参加者は各家庭から女性一名になっており、姑が元気な時は姑が、また姑が参加できない時は嫁が参加した。
観音講の料理の準備は四、五日前から始める。まず、一月十日は米集めの日で、代表が各家を廻り、米一升と会費を集める。その際先祖供養を希望する家は、さらに糯(もち)米一升を納める。一月十五日には粳(うるち)米や糯米を研ぎ、十六日には餅つきをして、お供え、くじら餅や団子を作り、翌日の料理の下準備をし、十七日は朝から約一二〇人分の食事を作る。祭壇係、流し前の料理係、瀬戸物の準備係、料理の盛り付け係などそれぞれ仕事を分担して準備を進める。
料理は口取り、煮付け、昆布巻き、コンニャクの壺、和え物、八杯汁、鮭の焼き物などである。口取りには日の出かまぼこ、だて巻き、ゴボウと人参およびサツマイモの天ぷら、ミカン、バナナを盛り付ける。煮付けは赤物の魚であり、酒と醤油で調味する。