粳米は、イワシ類、昆布、ワカメと交換したり、知り合いの農家から分けてもらったりした。米倉の中に玄米のまま俵に入れてつんで保存した。使う時に家で搗いたり、精米所に頼んで精白してもらった。主食として飯にしたが、その他べこ餅やだんご用にした。
糯米は知り合いの農家から分けてもらい、一斗缶などに入れて貯蔵した。赤飯、おはぎ、ごま餅やだんごにして用いた。
粟は畑にまいて収穫し自給自足であり、糯米に混ぜて餅にしたり、飯に混ぜて炊いたりした。ひえも自給自足であり、米が少なくなった時、米に混ぜておかゆにして食べた。菜種も栽培したが、ほとんど食用油と交換した。
トウモロコシは、ウルキミとモチキミを植えた。ウルキミは干して冬に売ったが、その「キミもぎ」は子どもたちのよいアルバイトだった。ウルキミはドンキミにし、モチキミはゆでて食べた。
小麦とそばは畑に植えたが、購入もした。小麦は粉にしてうどんに、ソバも粉にしてそばを作ったり、ソバネッカケにして食べた。
大豆は主に味噌に用いたが、必要な分は自分の家で作った。豆潰、煮豆、きな粉にもした。小豆は一年間食べるものは自分の家で作った。赤飯、汁粉、あんこ、羊羹などにした。
現在では、米は全部購入し、トウモロコシは一部畑で作り、あとは購入している。小豆はほとんど買っている。粟、ひえ、そばは作っておらず、食用にもしていない。