漁場を構成する個々の建物

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 主屋建築の古いものは少ないが、各集落の代表的な例を調査することができた。銭亀町の徳差銀作家の主屋は間口六間半、奥行四間で、左手床上部分に田の字形に四部屋設けた田の字型平面で、ほぼ標準的な大きさである。この田の字型平面は、近世中期以降の日本全国の農家でみられる最もありふれたもので、今まで調べた函館の農家においても幕末・明治以来一般的にみられた。ということは、このような間取そのものは、本州から導入されて以来、ここ銭亀沢においてもさほど変化することなく継承されてきた可能性が高い。
 干場の浜よりに仕事場と倉を兼ねた物置のあるのが通常の姿である。構造は簡素な洋風小屋組で二階建てのものや、地下室のあるものがあり、機能的な建築である。
 鰯漁場経営をおこなっていた木村千代吉家の場合、納屋と呼んでいる番屋が残されていることは貴重である。一〇間に四間半という大規模な洋風小屋組で、本来はトタン屋根であった。中には竃、囲炉裏があり、最盛期には五〇人もの漁師が寝りしていたという。