目次
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第四章 生活と民俗の地域的展開
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第三節 銭亀沢の住文化
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二 銭亀沢の社寺
墓地と火葬場
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銭亀地区には、西願寺の裏の墓地のようにお寺が管理する墓地のほかに、銭亀・志海苔共同墓地、新湊町共同墓地、古川町共同墓地、
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共同墓地といった各町会が管理する共同墓地が四か所存在する。この四つの共同墓地は、いずれも海岸から三から五キロメートルほど離れた、海を見渡せる高台に位置している。以前はこの四か所の共同墓地にそれぞれ火葬場があったが、現在、火葬場が残されているのは
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共同墓地のみである。
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火葬場は、明治四十一(一九〇八)年に設置され当初から
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町会で経営されていた。現在の建物は、昭和二十五(一九五〇)年に建てられたものである。昭和三十九年に一度改修がおこなわれており、コンクリート造の煙突が取り壊された。現在残っている煉瓦造の煙突と炉は、このときに造られたものと思われる。その
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火葬場も昭和六十一年にはその業務を終え、平成六(一九九四)年に廃止、現在はその建物だけが残されている。
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火葬場
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火葬場平面図
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火葬場立面図