大正期にそれまでの石置き板葺屋根(柾葺)からトタン葺に変り、シトミも作られなくなった。それ以降住宅の平面形態はあまり変化しなかったようである。昭和三十年代には出窓と二階建てがつけ加えられた。出窓は、そのデザインから、函館市域の建築物から影響を受けていると思われる。二階建ては土間・台所とイマ・チャノマの上部に乗せられる場合が普通で、多くは子ども部屋であった。
三十年代後半以降の変化としては、土間が消滅し、土間部分とイマ・チャノマ部分を一体にしたリビングルームが作られ、玄関は主屋の前面に突出して、アルミサッシでサンルームのように囲われる。外壁はサイディングボードなどの新素材が利用され、屋根なども瓦葺に改められるなど、大きくその外観を変えた。子どもの結婚などを契機にしたこの変化は、家族生活の変化にともなうものであり、大量生産された住宅部品の流通がそれを押し進めた。現在では、自営漁家住宅は新たに生産されることはない。地方的な仕様を一部に取り入れてはいるものの、全国的に流通する大量生産商品としての住宅が取って替りつつある。
主屋から突き出した玄関
2階と出窓
現在も建て変わりつつある石崎
図4・3・8 調査住宅分布図
表4・3・2 銭亀沢地区調査住宅一覧表
注)職業は住宅建設時の所有者の職業、屋根・規模・間取は復原による・『函館市史』都市・文化編記載分を含む