年とり

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 年とりは昭和初期までは旧暦の晦日にしていたが、現在は三十一日にしている。家の内外をきれいにし、入浴して下着から上着まで新しいのにとり替える。
 神棚にお神酒(みき)を供え、仏壇に水・花をあげ灯明をともし、家族揃って年越しができたことに感謝しお参りする。年とりの前に、一年間のお礼参りに氏神様にお神酒・供え餅・ミカンなどを供えお参りする家もある。
 年とり料理の準備は、材料などを二十五日頃からとり揃えておいて三十日にとりかかる。煮しめ・数の子・黒豆・酢の物・茶碗蒸しなど海の幸・山の幸のたくさんのご馳走が並べられる。
 家族みんなが揃って膳につき、お神酒や飲みものをくみ交わし、年とりが開始される。たいていは夕刻から始める。
 酪農をしている鶴野町では、飼育牛の世話のいっさいが終了する午後八時頃から始めるという。
 年とりにはどの家でも必ず作ったのが「くじら汁」である。大きな鍋に鯨肉と野菜・山菜・豆腐を入れて作る。正月にはいってからも、食べるその都度、小鍋にとり暖めて食べるのである。
 現在は材料の鯨肉の入手が困難なので以前ほど大量には作らないが、少量でも欠かさず作る家が多い。
 志海苔町では「さめ」は「おさめる」といって縁起がよいといわれた。鮫(さめ)が網にかかると捨てないで、「さめ」を竹のくしに差し、味噌をつけて炉ぶちで炭火で焼いて食べた。「さめの田楽焼き」が正月には欠かせないご馳走だったという。
 戦前は漁業をしていた家でも、自分の畑を持っていて、いろいろな自家用の野菜を作っていた。石崎町・志海苔町では「そば」を栽培していた。各家ではひき臼を持っていて手回しで「そば粉」を作り、年とりの日に年越しそばを食べていた。
 昭和初期の頃、屋台を引いて年越しそばを売りに商人がきていた。畑のない家では、商人から買って食べていたという。