戦前までは、元旦未明に近くの清らかな小川や、沢の水、共同井戸の最初に汲む水を「若水」とよんだ。注連縄や、輪としなで結んだ新しい桶(おけ)と、松やゆずり葉で結んだ杓子(しゃくし)を持ち、男性が唱え言を唱えて「若水」を汲んだという。
唱え言はきまっていないで、石崎町では「年の初めの若神様、今年一年、家内一同安全に過ごさせてください。お願いいたします」と唱えたという。女性はおこなわなかった。
共同井戸には松と注連縄を飾った。水を汲むところに、米・お金を半紙に包み「オサゴ」とし、塩・餅も供えた。拝んだ後に水を汲んだ。
汲んだ水は、家の神棚・仏壇に供え、あとで下げて飲んだり、元旦の雑煮を作ったりした。若水を汲んでから神社へお参りにいく人もいた。
昭和三十年頃までは「若水汲み」がおこなわれていたが、水道が設置、完備されるようになってから、次第に消滅した。しかし今でも井戸が五〇戸ほどある石崎町と、酪農を営んでいて水を欠かすことができない鶴野町・中野町では、各戸に井戸があり「若水汲み」は継続されている。