七夕

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 昭和十年頃の石崎町の子どもたちは、近くの裏山からとってきた笹竹を短く持ちやすくしてそれに短冊を下げた。また、志海苔町では、缶詰の空缶に釘を打ち、ひもをつけた手製のカンテラを作り、子どもたちはそれを持って、ろうそくをもらいに家々を回った。また、古川町では、子どものいる家では、その日は小豆飯(餅米と小豆)をたいた。子どもが将来良縁に恵まれるようにと家の神棚、仏壇に縁結びの祈願をして供えた。
 第二次世界大戦前後に一時中断されていたが、昭和三十年代になって復活した。現在も子どもたちはグループを作り、石崎町では前と同じように笹竹を持ち、また、ほかの町では提灯を持って「竹に短冊 七夕祭り オーイヤイヤヨ ろうそく一本ちょうだいな」と歌い家々を回り歩く。家々では、この日のために小さなろうそくを用意しておいて、子どもたち一人ひとりにあげていた。
 昭和五十年代後半から、ろうそくに代わってお菓子などを与えるようになった。