産後の食事は姑の指図によるところが大きく、家ごとに多少の違いはあったが、おおむね出産当座はおかゆに炭火でいった焼き塩をそえて食べた。その後一週間ほどは帆立の貝殼にみそと鰹節の削ったのを入れて煮たケッカラミソ(貝殻みそ)を食べていた。これに卵が入るのは上等で、鰹節の代わりに鯖節や鰯だしを用いることもあったという。南千島へ出稼ぎに行った時は土産に帆立の貝殻がとても喜ばれたという。また床上げまでの期間中は、味噌汁に卵や豆腐・ほうれん草それに白玉だんごなどをいれて食べたり、白身の魚を焼いて味噌汁に入れたり煮魚にして食べたりしていた。柔らかくて消化のよいものをよしとし、脂身の魚や脂っこいもの、辛いもの、刺激の強いものは食べさせられなかった。ケッカラミソを食べると乳の出が良くなるといわれ、床上げまで食べていたらすっかり栄養不足になり、俗にいう産脚気になって産後の回復が遅れ大変苦労したという産婦もいた。
現在と比べると貧しい食事であったが、「乳の出が悪くて困るサントはいくらもいなかった」という。戦後の食料不足の時、乳の出の悪いサントは、赤子に重湯や生米を摺って煮てとろっとしたものに配給の練乳を入れてのませた。また晒に米を包んで乳房の形に作り、これを「石倉のとちの木さん(白木神社)」に供え、この米を炊いて食べると乳の出が良くなるといわれていた。