亡くなると親戚や知人など関係者に死亡の通知をするが、戦前は電話も普及していなかったので使いの者が知らせに回った。これをフタリヅカイと呼んでいる。一人で行くと死者の霊に取りつかれるから必ず二人で行くものとされていた。フタリヅカイには身内の者があたり、ツカイをした者は必ず葬儀の終わるまで手伝いをしなければならないとされていた。隣近所には女の人が知らせに回ることもあった。遠方の親戚や知人には電報で通知した。なお葬儀日程の相談や用具の借用のため菩提寺や葬儀屋にも連絡した。石崎では妙応寺の近くに、明治末頃よりハナヤ(葬儀屋)があって棺桶や卒塔婆(そとうば)を作っていた。家の戸口には「忌中」の紙を張った簾(すだれ)を出した。現在は漁業協同組合の有線放送や新聞の死亡広告によって、葬儀の日程や会場が広く通知されるようになった。