舅爺さんが銭亀の小学校に通ったとき、黒岩さんは近道なのでお天気のいい日は下の岩場を歩いた。水をかけると手形が現われる岩があった。黒岩は一つが高くて一つが低くてめおと岩といわれたこともある。道路拡張する時岩を崩した。あの岩を崩すようになってからこの浜から漁もなんもなくなったんだとよくいっていた(飯田由枝談)。
昔はかなり険しいもので覆いかぶさった岩だった。漁師はそこを目印にして魚釣りとか航海をした。どだい海の縁を渡れなかったので山道の裏側を通った。潮が退いたときに海辺を歩いて遭難も多かった。それで日持上人が墨で南無妙法蓮華経と書いた。海の水をかけると文字が浮き出る。道路工事のときに削り取らなければならないというので抜いて、そこにある祠に納めた(吉田正明談)。